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舛添前知事「知事の部屋」

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活動の紹介

平成26年2月13日更新

就任挨拶

 平成26(2014)年2月12日(水)、都庁第一本庁舎5階大会議場において、職員に対し就任あいさつを行いました。知事は「世界一の都市東京にするという気概を持って、日々の職務に励んで欲しい」と職員に訓辞を述べました。


 この度、知事に就任しました舛添要一です。就任に当たり職員の皆さんに、私の都政に対する思いをお伝えしたいと思います。

 私は『東京を世界一の都市に』することを公約に掲げて、今回の選挙を戦い、都民の信任を得て、都知事に就任することができました。今日から、全身全霊を捧げて、この公約の実現に向け努力していく決意であります。

『世界一の都市』とは何か。私は、「都民の皆さんが『東京に生まれてよかったな、ここで生活できてよかったな、ここで働いていてよかったな、ここで老後を過ごせてよかったな』と思ってもらえるような都市だ」と考えていますし、実際、選挙中もそのように都民に訴えてきました。

 私の政治の原点は母親の介護であります。その原点に忠実に、安倍、福田、麻生の三内閣で厚生労働大臣を務め、まさに「揺りかごから墓場まで」、この国の社会保障を前進させるべく、努力して参りました。その体験から、選挙中、東京を福祉で世界一にすると訴えてきました。知事の仕事は、都民の生命と財産を守ることであり、それゆえ、東京を世界一災害に強い都市にするという目標も掲げました。

 東京都は、日本の地方自治体のトップとして、あらゆる分野においてリーダーシップを発揮しなければなりません。それが、『東京を世界一の都市にする』ための前提であります。皆さんの仕事の一つ一つが、東京を世界一の都市にすることにつながります。世界一の仕事をするのだという気概をもって、日々の職務に励んでもらいたいと思います。

 行政は、机上の空論であってはなりません。打ち上げ花火のように大衆受けすることを述べたからといって、行政の成果が上がるわけではありません。地道に政策の勉強をし、それを実現させるために障害となっていることを、一つ一つ取り除いていく必要があります。そうすることによって、初めて大きな仕事ができるのであります。
 私は、厚生労働大臣時代に、年金記録問題、C型肝炎訴訟、派遣労働者問題、新型インフルエンザなどの難問に、正面から取り組みました。その際に、たとえば、「財源の裏づけはあるのか」、「既存の法令の中でどういう形で対応できるのか」といった議論・検証を積み重ねていきました。行政とは忍耐の必要な作業であり、政策決定過程において、いかにして合意形成を図るかが重要であります。「万機公論に決すべし」と言います。広汎な意見に謙虚に耳を傾けて、ひたすら都民に尽くすという姿勢を堅持することを、強く求めます。

 さて、6年後の2020年、この東京でオリンピック・パラリンピックが開かれます。私たちは、全力を挙げて、この大会が史上最高のオリンピック・パラリンピックとなるように努力しなければなりません。

 万全の準備をして、世界中から日本に来る選手・観客に、最高のおもてなしをしたいと思います。インフラの整備は当然のこと、たとえば、日本語が分からない外国からのお客さんが戸惑うことないような街作りが必要です。

 都庁の職員が先頭に立って、この東京を、オリンピック・パラリンピックの最高の舞台にする努力を展開しなければなりません。そして、この晴れの舞台にやってきた世界中の人々が、「こんなに素晴らしいオリンピック・パラリンピックは見たことがない」と感嘆するような大会にするために、全力を傾注したいと思います。

 ロンドンは、オリンピック・パラリンピック開催前は、世界の都市ランキングで、ニューヨークに次いで2位でした。それが、2012年の大会を契機に、逆転して世界一の都市になりました。
 現在、三位はパリで、東京は4位です。まだメダルに手が届いていません。2020年を目標に、順位をあげて、三位の銅メダル、次に二位の銀メダル、そして最後にトップの金メダルを獲得したいと思っています。

 私たちは、Public Servant、公僕であり、都民に奉仕をするのが仕事であります。たとえば、現場の窓口で、都の職員が都民に対してどのように対応するかが重要です。私が厚生労働大臣のときに、年金記録問題が大きな問題となり、社会保険庁の杜撰な記録管理が厳しい批判の対象になりました。そのような時でも、社会保険庁に好印象を持っている人が多数いました。それは、窓口で担当者が懇切丁寧な対応をしたからです。
 東京都の職員が、都民に奉仕する精神を忘れて、適切な対応を怠るようなことがあれば、都政の信頼は失墜してしまいます。都民に接するときの言葉遣いや態度に、春の光のような暖かさが求められています。
 私の尊敬する佐藤一齋の、「春風を以て人に接し、秋霜を以て自ら粛(つつ)しむ
(以春風接人、以秋霜自粛)」(『言志後録33条』)という言葉を、皆さんに贈ります。

 都庁には数多くの現場があります。職員の皆さんは、一人ひとりが都庁の代表であり、都知事の分身であることを肝に銘じて、日々の仕事に取り組んでもらいたいと思います。

 私は強い決意をもって、様々な改革を断行し、この東京から日本経済を再生していきたいと考えています。幕末明治に先人達が挑戦したように、この愛する日本を再び世界に飛翔する国へと、大きく変えようではありませんか。その牽引力として、機関車の役割を果たすことができるのは、この東京以外にはありません。

 今から94年前の大正9年(1920年)12月19日午前11時に、市長として東京市役所に初登庁したのが、後藤新平です。後藤は、後に帝都復興院総裁として、関東大震災からの復興に全力を尽くしたことは、皆さんもよく知っていると思います。その後藤新平が市長を辞するときに、職員に述べた別れの挨拶の中から、一文を引用して、私の着任の挨拶を終わります。

 「東京市役所は、最も愉快な民本主義の活動の場であります。したがって、諸君の職務は実に名誉であり、かつ愉快なる職務です。市民の幸福は諸君の努力によってもたらされる。」

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