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報道発表資料  2017年02月03日  教育庁

〔別紙〕

詳細

紙本墨画淡彩鍾馗図(しほんぼくがたんさいしょうきず) 1幅

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  • 種別
    東京都指定有形文化財(絵画)
  • 所在場所
    御蔵島村
  • 所有者
    個人
  • 大きさ等
    155.6センチメートル×91.2センチメートル

本図は、御蔵島に伝世した掛軸装一幅の紙本墨画淡彩図である。画面右下端に英一蝶(1652~1724)の諱である「藤原信香書」の款記がある。本紙は縦横24枚の紙を貼り合わせた大型のもので、当初は幟旗として制作され、のちに島で修理したと思われる紙の表装が施されている。御蔵島では端午の節句の際、各家で紙幟を立てて飾り祝ったことが伝えられる。
図様は、幟旗という性質上、太い雄渾な筆跡を基調としている。ほとんど濃淡の墨で描かれているが、目や衣文線に僅かに藍、鍾馗の顔や小鬼の肉身部に朱が用いられている。鍾馗が右手に剣を持ち左手で小鬼を捕え、今にも退治しようという緊迫した図様で、速筆で動感をはらんだ姿態をよくとらえ、衣文(えもん)を張りのある線描でまとめあげた力強い作品である。
節句飾りの幟絵については、これまで葛飾北斎筆「朱鍾馗図幟」(ボストン美術館)が最古のものとされており、本作品はそれを上回る最古例の可能性がある。
英一蝶は、将軍家御用絵師狩野安信(1613~85)に入門し、画家としては初め雅号多賀朝湖として知られる。元禄11年(1698)12月47歳の時、咎(とが)あって三宅島への流刑に処せられ、5代将軍綱吉の死による大赦によって宝永6年(1709)に江戸に戻るまでの11年、一蝶は近隣の伊豆諸島の島民からの注文を受け仏画等を描き、時に江戸へ風俗画を描き送り生計を立てたと伝えられる。「朝図曳馬(ちょうとんえいば)図」(静嘉堂文庫美術館所蔵)、「雨宿(あまやどり)図屏風」(東京国立博物館所蔵)や「一休和尚酔臥(すいが)図」(板橋区立美術館所蔵)など、伝統的な画題や図様に捉われることなく、市中で目にするありふれた人々の日常や、古典的主題を持ち前の機知で変奏した作品を描き、風俗画家として名を上げる。
本作品は、英一蝶が三宅島に配流となった期間に、島民の端午の節句に飾られる紙幟として制作されたものである。
伊豆諸島に残る英一蝶作品の中でも大作で、絵具、紙などの画材の入手に不自由しながらも優れた描法を持つもので、芸術的価値は極めて高い。のみならず、御蔵島の歴史や生活をうかがい知ることもでき、文化史上の価値も認められる。

江古田の獅子舞

  • 種別
    東京都指定無形民俗文化財(民俗芸能)
  • 保存団体
    江古田獅子舞保存会
  • 伝承地
    中野区江古田地区


「江古田の獅子舞」は、中野区北東部に位置する江古田・江原町・丸山の鎮守氷川神社の祭礼にて奉納される一人立(いちにんだち)三匹獅子舞で、3人の獅子役が笛・太鼓・ささらに合わせて踊る民俗芸能である。
毎年10月第1日曜の正午に江古田一丁目の獅子宿を出発した獅子舞行列は、新青梅街道を西進して同三丁目の氷川神社まで1時間半かけて練り歩く。同社境内には、都内では珍しい芝原(しばら)と呼ばれる土壇の舞台があり、夜半まで獅子舞を上演する。
当地の旧名主家に伝来する『獅子由来図大蔵院起立書(ならびにだいぞういんきりゅうしょ)』には、慶安2年(1649)に修験の僧・宥圓(ゆうえん)が獅子舞を伝授したと記され、また、近世末期の作である『江古田獅子舞巡行絵巻』には、現在とほぼ変わらぬ獅子舞行列の姿が描かれている。江古田の獅子舞は、都内でも最も古くから伝承されている三匹獅子舞の一つである。
また、角や目が見えなくなるほどの長い羽をたくさん付けた6キログラムを超える大きな獅子頭(ししがしら)が特徴で、その重い頭(かしら)を付けて重心を低く構え、地面に届くほどに仰け反る所作を行うなど、高い技術と体力が必要とされる演舞が続く。
少なくとも300年を超える歴史を持つ、東京でも最も古くから伝承されている三匹獅子舞の一つであり、都区部の獅子舞の地域的特色を示すものとして重要である。

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「笹舞」を演じる獅子 お練り行

 

鈴木遺跡

  • 種別
    史跡(追加指定)
  • 所有者
    小平市
  • 所在地
    小平市回田町331番地4(保存管理等用地)
    小平市鈴木町一丁目390番地23(鈴木町一丁目390番地保存区)


鈴木遺跡は、小平市鈴木町を中心に所在する、今から約3万5千年前から1万5千年前までに営まれた後期旧石器時代を主体とする遺跡である。本遺跡は、武蔵野台地中央の武蔵野段丘上に位置し、石神井川のかつての源流であった谷頭部を取り囲むように、東に開く馬蹄形に形成されて、旧石器時代の遺跡としては都内でも最大規模である。現在までに数多くの発掘調査等が行われ、後期旧石器時代各段階の遺構及び遺物を包含する12枚の文化層から、礫群、石器集中部、炭化物片集中、大形土坑などが検出され、日本の旧石器時代の最古の時期に属する「局部磨製石斧」をはじめとする石器群から、同時代終末期の細石刃を主体とする石器群まで出土している。
追加指定地は2箇所で、いずれも小平市に寄付された地区である。「保存管理等用地」は旧谷頭部の南側台地上に位置し、南側隣接地の発掘調査では、埋没した小支谷(しょうしこく)の跡や遺物の集中が認められ、本地点の旧地形が明らかとなった。「鈴木町一丁目390番地保存区」は、谷頭部北側の台地南端部に位置し、北側に隣接する緩斜面部分の発掘調査では、石器集中部と礫群等が複数確認された。
両地点は、周辺の調査や地形の状況から遺跡範囲の中でも遺構及び遺物が特に濃密かつ良好に保存されていることは明らかであり、また、谷頭部を取り巻く旧地形を良好に残している点で重要であることから、指定して保存していく必要がある。

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保存管理等用地(写真中央) 鈴木町一丁目390番地保存区

 

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